2018年03月20日

一つの「個人的で簡易な記録」

一つの「個人的で簡易な記録」

前回の記事から3カ月は経っただろうか 
その間に寒い冬を通り抜けて春となった 
まだ寒さを感じていたのだが 
いつの間にか桜のつぼみは膨らみ 
駿府公園を訪れてみたら
もう三分咲き程の桜があるのを見て 
私自身の季節感の狂い様にいささか驚いている 

今年の正月、近くの神社へ初詣に出掛けたとき 
今年も「穏やかではないがいつも通りの一年を過ごしていくのだろう」と感じていた 

私の父は長いこと認知症を患っていた 
最初は「要支援2」だったのだが年々症状は進み 
昨年の春には「要介護4」に達していた 
春、父を誘って長尾川の桜を見に行ったが 
満開の「桜のトンネル」の中を歩いても、もう桜の花には興味を示さなくなり 
ただひたすら前に進んでいく父の様子を見たときには
なにかしらの諦めを感じざるを得なかった 

喜怒の差が激しく、怒る時は何が原因なのかわからずに途方に暮れることも多かった 
夜間の徘徊も多く、家中の電灯をつけて歩いたりしたことは茶飯事だった
そのくせ機嫌のよい時には冗談さえ通じる 
その機嫌の良い時の状態を信じて自宅介護を通していたが 
それでもデイサービスを利用する回数は増え 
昨年の夏からは一週間の内の六日まで利用するようになっていた 
時には一泊か二泊の「ショートステイ」にも行ってもらい 
その間にようやく一息つくといった状態だった 

父の行動は、元気だったころの彼の生涯・経験に起因するものだったのだろうと思う 
その事をもっと深く理解するべきだったと後悔するのだが 
介護の当事者である間は自分自身の苛立ち、疲れ、諦めにとらわれて 
ただ右往左往するだけだった 
時には辛く当たってしまったことも多かった 

ケアマネージャの方の意見では 
父の状態はもう自宅での介護に限界がある、施設に入所するべきである、との事だったのだが 
それでも唯一、「排泄」の点ではまだめったに問題が起きていなかったため 
「施設への入所」という判断に踏み切ることにためらいがあった 
しかし、(具体的な書き方はしないが)年の後半になってその件にかなりの問題が起きるようになってきた 
特に、、タンスに向かって小水をかけてしまったとき 
べそをかきながら床やタンスの中の小水をふき取っていた母の姿を見るにつけ 
自宅介護の限界と「施設入所」についての検討を考えざるを得なくなった 

年が明けて、しばらくはいつも通りの日々が過ぎていった 
しかし、父が「インフルエンザ」に感染した時に、時計の針は最後の時を刻み始める 
インフルエンザはやがて誤嚥性の肺炎を併発するようになり 
その時点で入院加療をする 
その時のことはあまり書きたくないのだが 
一つだけ言っておきたい 
大きな総合病院であっても「認知症を患っている患者」に対しての認識、対応について 
その意識のあまりの低さには驚かざるを得なかった、という点である 
今回の事での最大の「後悔」は「入院させたこと」だったかもしれない 
しかし、他に方法があっただろうか 

いずれにせよ、一週間後の退院時は 
まさしく「連れ帰る」という感情を抱きながらのものだった 

自宅には介護用のベッドが運び込まれ 
訪問看護師や介護士の方々が手配された 
そして往診したくださる医師の方もすぐ自宅に見えてくれた 
これらの方々はすべて仕事と現場に対しての見識の高い人々であり 
今もって感謝の念に堪えない 
そしてこれらの方々を手配してくれたケアマネージャーの方の力量と見識にも 
感謝している 

往診の医師の見立ては「五分五分よりも悪い」 
もし仮によくなったとしてもまた誤嚥性肺炎を起こすだろう 
その繰り返しで体力はだんだん衰えていく、との事だった 
そして、退院してから、食事(ゼリー状の流動食)を受け付けなくなった 
入院中も点滴のみだったから、もう長い間「食べること」から遠ざかっている 
父の「活きることへの気力」がだんだん薄れていくことを感じた 

それでも自宅での最初の数日間は立って歩くという事もあったから 
「何かしらの希望」もまだ抱いていたかもしれない 
しかし、食事をしないことは決定的だった 

やがて起き上がることもなくなり呼吸も荒くなってきた 
そんな日が数日続いたが 
一日だけ「小康状態」があったように思う 
その日は母に対して「ありがとう、ありがとう」と何度も言っていた 

「死にゆく人」は一度だけ「良く見せる」という 
また「正気をなくした人」も一度だけ「正気を取り戻す」と聞いたことがある 
この日は、そのような日だったのかもしれない 
そして翌日には、もう何も反応を示すことはなく 
ただ荒い呼吸をしながら横たわっていた 

往診の医師からは「もうあまり見込みのない事」を告げられた 
そして訪問看護師の方からは次のように言われた 
「最期の瞬間をみとることは決して大切な事ではありません。
 家族の方は休む時には十分に休んでください。
 共倒れになってはいけないのです。
 そして、もしびっくりするような事(息をしていない等)に気づいたときには 
 救急車を呼ばないで、私たち(訪問看護師)を呼んでください。」
(注:自宅で亡くなった時、救急車を呼ぶと「変死」として扱われ 
  警察等も入ってきて大変厄介なことになるのだという )

その日の夜はだいぶ遅くなったが 
私はしばらく横になって休むことにした 
しかし、一時間余りたって母から「すぐ来てくれ」と呼ばれる 
その時、父の呼吸は止まっていた 
母は寝ずに父を見守っていた
(母は父の最期をみとることが出来た) 

言われたとおりに訪問看護師の方を呼び 
看護師は状況をすぐに医師に連絡する 
そして、医師による死亡の確認 

いろいろな事があった、そのことは事実だ 
父に対しての感情も、優しく接したいという思いがあったことは確かだが 
実際には頭にくること、怒ってしまった事、投げやりになったことの方が数倍多かっただろう 
そして、途方に暮れたこと、疲れ、思考の停止、等等 
しかし、今となっては
父に対して「何をしてあげたか、何が出来たか」という事よりは 
「何をしてあげられなかったか、何が出来なかったか」という後悔の方がはるかに大きい 
おそらく介護の経験をされた方であれば同じように考えるのではないかと思う 
ただ、私自身は、これらの経験から 
いま介護にあたっている人たちに対して
「後で後悔することのないように、相手の気持ちを考えながらやさしく接してあげてください」などと言うことは
できない 
もしそういうことを言うならば 
いま介護に悩んでいる人たちに対して
無用な圧力と絶望感を与えてしまうことになるのではないかと思う 
介護にあたる家族の方々は、その日々の中に「無力感」「怒り」「悲しみ」、
そして「孤独感」を感じるのではないだろうか
「頑張れ」という言葉はただただ「つらく響く」ことが多々ある 
介護の問題については「介護の対象者」をケア、サポートするだけではなく 
「介護にあたる家族」をケア、サポートし 
「介護にあたる家族」の人たちに孤独感と孤立感を感じさせないことが大切なのだと思う

いずれにせよ、後悔することの多かったなかで 
唯一の慰めがあったとしたならば 
それは父を自宅で見取ることが出来たという事だったように思える 

ベッドの上には「永遠の安息」を得た父が横たわっていた 
その父の傍らにいたとき
不意に私の脳裏にフォーレの「サンクトゥス」(レクイエム)が流れた 
おそらく、この時の父に対しての、最も相応しい音楽だったと思う


あれからひと月以上の時が立った 
私自身は、決して感傷に浸っているわけではないのだが 
ブログにしても、写真にしても、ほとんど手を付けることはなかった 
「私のこと」について何も語らずに 
何食わぬ顔で「新しい記事」をもって再開しても良かったのかもしれない 
その方がスマートだ 
しかし、私は心の中で「私のために」このことを書く必要があると感じていた 
書こうと思いながらも、無駄に時間が流れていったが 
いま、ようやく、簡単ではあるがこの文章を書いた 
このことで「何か」を越えていきたいと感じている 

次の記事をいつ書くかは分からない 
案外「数日後」かもしれないし 
その時はもう「普通のこと」を書いているだろう 
しかし、半年、一年と間が空く可能性もある 
その時でも、私はこのブログを放棄することはない 
このブログがどれほどの人に求められているかは分からないのだが 
それでも「私のため」に書き継ぎたいと思っている

     



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Posted by 旅人 at 01:46│Comments(2)雑記
この記事へのコメント
あなたのブログはいつも父が傍らにいるような、優しげで暖かいものだったように思う。レクイエムのよう。
霊の人というと世の人は笑うけれど、何年たっても、あなたの父はあなたの傍らで、あなたのやさしげな写真や文章をみて楽しんでいると思う。
旅人さんは、写真も文章もとても上手です。
長尾川の桜、満開ですか?
Posted by ミミ at 2018年03月31日 09:29
ミミさん、こんばんは

父が存命の頃は、確かにいろいろと困ったこと、大変だったこと、私自身感情的になったこと等多々あったと思うのですが、亡くなった後になるとそのような事は過去の「思い出の一つ」となるようです。つまり、存命中はお互いが生身の「人」として感情のぶつけ合いとなってしまうのですが、亡くなった今では、変な言い方になりますが、父は「対話の相手」のような存在としていてくれるように思われます。その意味で、まだ意識の中には「実在している」ように思えます。

長尾川の桜は月曜日の時点でピークに達したようです。
Posted by 旅人旅人 at 2018年04月04日 22:12
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