2009年12月25日

赤沢宿は「甲斐の馬籠」と言われている

赤沢宿は「甲斐の馬籠」と言われている

下部温泉から早川町方面に行き
途中左に折れて細い林道を暫く走ると
山の斜面に固まっている集落が現れる




この場所には身延山と七面山(山岳信仰の地)を結ぶ
「身延往還」が通っており、巡礼者の集まりである「講」が
此処に宿泊していた

「赤沢宿」と言う

赤沢宿は「甲斐の馬籠」と言われている
(パノラマ写真 写真をクリックしてください、拡大します)

一般の宿場町とは異なり
身延山と七面山に訪れる「講」によって栄えた宿場町で
「講中宿」と呼ばれている




この集落の家々は殆ど同じ姓を名乗っているらしく
お互いを「屋号」で呼び合っているらしい




赤沢宿は「甲斐の馬籠」と言われている
(パノラマ写真 写真をクリックしてください、拡大します)





「講中宿」の面影は
宿屋の軒下に掲げられている「板マネギ」(あるいは「講中札」)に認められる
今この地で営業している宿は一軒のみとのこと
(写真の宿は営業していない)
冬のこの時期は観光客は殆ど居らず、ひっそりとしている






赤沢宿は「甲斐の馬籠」と言われている
(パノラマ写真 写真をクリックしてください、拡大します)

立地条件のためか、域内は急な坂が多い
それ故か、「甲斐の馬籠」というキャッチフレーズをどこかで見たような記憶がある
曲がりくねった石畳の坂道を歩きながら
おそらくは険しかったであろう山道を辿って来た巡礼者たちが
遠くにこの宿場を見つけたときの安堵の気持ちを思い浮かべてみる






以前来たときには、食事をする場所は無かったように記憶していたが
現在はお蕎麦屋さんが一軒、土・日・祝日のみの営業をしている
(平日は予約により営業)

この地区では各家庭で蕎麦を打って食べるらしい
また、宿泊客にも振舞われていたという
その宿泊客だった人々の「昔食べたお蕎麦が美味しかった」と言う声に押されて
空き家となった民家を改装して営業を始めた、と
店の中に有った新聞記事の切抜きが教えてくれた
店の屋号「武蔵屋」は
以前住んでいた家族の屋号をそのまま使って
その屋号を残しているらしい

「素人の蕎麦」とタカをくくって店に入ったのだが、とんでもない
大変立派な、腰のある美味しい手打ち蕎麦だった



石畳の上り坂は やがて宿場を抜け
更に山奥に進み、身延山に至る




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Posted by 旅人 at 01:30│Comments(0)山梨県
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