2018年06月20日

一本の楠、1945年6月20日の記憶

2018年6月16日 日赤前 楠


赤十字病院の前に一本の楠がある 
この季節になれば時々新聞でも記事になるから 
知っている人も多いかもしれない 
しかし、わざわざ此処にこの木を訪ねに来る人は 
それほど多くないかもしれない 
世間一般には 
「6月」は「8月」のように「平和」を語る時期ではないらしい 

一本の楠、1945年6月20日の記憶

1945年6月20日午前0時51分 
静岡の街は大規模な空襲によって焼け野原となる 
おおよそ2000人の人々が犠牲となり、多くの人々が焼け出された 
この楠も劫火の中で焼け、炭のようになったという 
しかし、その三年後の春に黒焦げの幹から新しい芽が生え始めた 
この楠は、黒焦げに焼かれた状態からよみがえった姿だ 
それは「再生」のシンボルでもある 
しかし、静岡の街は再生したかもしれないのだが 
この戦禍の中で失ったものはあまりにも多かったのではないだろうかと 
私は想像している 




(画面の中を直接ドラッグすると、画像を回転することが出来ます
 また、画面にマウスを合わせると右上付近に拡大のマークが出ます
 そのマークをクリックすることで大きな画面でパノラマ写真を見ることが出来ます。)

もちろん私はこの空襲の様子を知らない 
また私の両親もこの空襲について語ることはなかった 
(両親はそれぞれ街からはかなり離れた場所に住んでいた)
親父が「街の方が赤く染まっていた」というようなことを言ったことがあったと記憶しているが 
それが空襲だったのか、それ以前にあった静岡大火の事だったのか 
いまとなっては定かではない 

空襲については、いろいろな証言や 
当時の記憶を絵に描き起こしたものが多数伝わっているから 
それを頼りに戦後生まれの私たちも「想像する」ことはできる 
(私たちは8月になると「広島・長崎」の悲惨さを話題にするが 
 その前に もっと身近である筈の静岡の空襲について知り 
 その悲惨さを思い描くべきではないだろうか )

しかし、今の時勢は
人々は「リアルに想像する」ことを避けているように思う 

楠はよみがえった 
しかし、次に何かあった時
同じように、焼けただれた木々が再生するだろうか 

青々と茂った楠の姿は再生の姿かもしれないが 
それは同時に 
「次はない」という「警告」と 
「まだ間に合う」という「勧告」の「姿」のように思える 










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Posted by 旅人 at 00:51│Comments(0)葵区
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