2011年04月16日
哲学の道 桜並木
(写真をクリックしてください 拡大します)
南禅寺から銀閣寺まで、また、その先も西側へ疎水は伸びる
その疎水の沿いに、桜並木が寄り添っている
(パノラマ写真 写真をクリックしてください 拡大します)
桜木の一本一本はまだ若いかもしれない
また、疎水沿いの家並みも、決して古い町並というわけではないが
どこか京都という土地柄を色濃く映したような落ち着きがある
(写真をクリックしてください 拡大します)
今では、この疎水の道も観光化、俗化しているのかもしれない
しかし、それでいて、あまりに多くの人が行きかう場所になった今でも
「喧騒の場」となることだけは拒んでいるような落ち着きが
かろうじて、この道の雰囲気の中に残っている
(写真をクリックしてください 拡大します)
「哲学の道」という名前は、その名付けの逸話を越えて
道全体の雰囲気をかもし出している
(パノラマ写真 写真をクリックしてください 拡大します)
その道を、多くの見物客の作る流れに乗りながら、ゆっくりと歩く
その道の桜並木は、美しい
その道の美しさは
その道が持っている「時」のたおやかさなのだろう
その道は、普段は時の止まったような静けさを湛えている
その道は、しかし、花が咲き乱れると、眠りから醒めたように躍動する
その道の、一年で一番良いときを、人々は慈しむ
そして
私も
その道を、そぞろ歩き、心から楽しむ
しかし
その道の桜並木は、人に見られようと、見られまいと
一切関わりなく、一年に一度、自らの純粋な欲望のままに
咲き誇る
自らの「純粋さ」の為に咲く花の乱舞は、美しい
そして
「一年で一番よいとき」の最後に吹き乱れる「桜吹雪」
私が
その道を歩いているときも
何度も花びらが吹き付けてきた
足元には、無数の散り落ちた花びら
疎水の流れの中には、花筏
季節の移り変わりを、歩きながら感じる
その道は、幾たびか春を迎えてきた
その道が次に迎えるのは
目に鮮やかな桜の若葉による「新緑」なのだろう
人は代わっても
その道と桜はかわらない
Posted by 旅人 at 22:36│Comments(2)
│京都府
この記事へのコメント
旅人さんの情感いっぱいの散文詩にうなずきながら迫力いっぱいのパノラマ写真の桜の下を同行させていただきました。いつも慌ただしい京都でこの道は初めて写真で歩かせていただきました。最後の写真が印象的です!!。
Posted by 山田勝己 at 2011年04月17日 08:43
山田勝己様、おはようございます。
写真のパラドックスでしょうか、あまり人が歩いていないように見えますが、実際には多くの人が行き交っていました。
しかし、雰囲気は写し取れていると思います。幾らかでもその雰囲気をお伝えできたとしたら幸いです。
たとえ、どんなに行き交う人が多くても、その道の印象深さは変わらないように思います。
写真のパラドックスでしょうか、あまり人が歩いていないように見えますが、実際には多くの人が行き交っていました。
しかし、雰囲気は写し取れていると思います。幾らかでもその雰囲気をお伝えできたとしたら幸いです。
たとえ、どんなに行き交う人が多くても、その道の印象深さは変わらないように思います。
Posted by 旅人 at 2011年04月17日 09:35
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