2010年05月10日
松代 武家屋敷の街並と文武学校
長野市の中心部からは外れているが、松代が長野市の城下町だった
この地の町並みは武家屋敷街の面影が強く残る
武家の街並と町人の町並みの違いは
塀で敷地を結界しているのが武家屋敷、町人の家は通りに入り口が面している、と
本で読んだことがある
その説でいくと漆喰の塀が続く松代の町並みは武家屋敷の街並そのものだ
修景されている所もあるが、生活道路等の普通のみち沿いにも塀は随分残っている
塀の中にある家屋は昔のものとは限らず、恐らくは立て直されたものが多いと思うが
町家の街並のように、一軒でも現代のものが混じると景観が崩れてしまうのとは違い
塀さえ残っていれば景観の維持はしやすいのかもしれない
(パノラマ写真 写真をクリックしてください 表示された画像をもう一度クリックすると拡大します)
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以前訪れたときは「整備予定」だった山寺常山邸は池を配した庭園と付属の家屋の改修によって
散策時の良い休憩スペースとなった
この付近の景観は武家屋敷街の面影を最もよく残すところかもしれない
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松代城も部分的に修復・復元されているらしいが
線路を越えた、離れたところにあるようなので今回は割愛
最後に藩政時代の学校史跡「文武学校」に行く
文武学校は藩校の史跡としては最もよく保存されている所なのだそうだ
幕末、ペリー来航の二年後の安政二年(1855年)に開校、設立には佐久間象山の意見が取り入れられたそうだ
従来の漢学・国学・諸武道に加えて西洋の学問も取り入れられた反面
儒教の教えは排除されたそうだ
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開校当時の姿がほぼ残っているその敷地を歩くと
質素な造りの建物や塀などが織り成す諧調が好ましい
また、槍術所の広い空間と小屋組みの太い梁がむき出しになっている構造美と力強さが印象に残る
松代の町はもっとゆっくりと、そしてまだ多くのものを見るつもりだったが
一つの場所で時間を多く費やした為、さわりの部分を見ただけになってしまった
その「一つの場所」、そして松代に行ったら必ず見に行くべき場所
「松代大本営跡」の事を、次の記事で書き残したい
Posted by 旅人 at 23:53│Comments(0)
│長野県
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