2010年01月22日
原爆ドーム
広島市とその近郊に観光名所が無いわけではない
(厳島神社という世界遺産さえある)
しかし広島の街に来るとまず平和公園に足が向く
とはいえ、平和公園と原爆関連の遺構・石碑等を見る事を
「観光」というのは大きな抵抗がある
ほぼ同じ意味で、前日の大久野島一周も「観光」ではない
恐らくは、当事者でない私がこれらの「悲劇」を「心に留める」ために
現場の空気をじかに感じるための行為だと思う
実際のところ本当に心の中に感じ、受け止める事ができているのか
自信がない
「知識」が頭の中に蓄積されていくだけでは無いのか、と思う事もある
そう思いながらも、平和公園に足が向く
原爆ドームの約150m東側、高度約600mの所で原爆が炸裂する
至近距離だから完全に瓦礫の山と化してもおかしくないが
実際には辛うじて幾らかの形が残り、特にドームの部分は元の形をよく留めている
このドームの部分
今まで「真円」だとばかり思っていたが
縦、横と位置を変えて眺めると違うように思える
原爆資料館にはドーム部分の大きな模型が有る
そのドーム模型を真下から見上げてみるとやはり楕円(4:3ぐらい)になっていた
これも一つの先入観だったかもしれない
(写真をクリックしてください、表示された画像をもう一度クリックすると拡大します)
(画面の中を直接ドラッグすると、画像を回転することが出来ます
また、画面にマウスを合わせると右上付近に拡大のマークが出ます
そのマークをクリックすることで大きな画面でパノラマ写真を見ることが出来ます。)
爆心地は原爆ドームから約150m東側となる
「島病院」付近という
その場所も訪ねてみた
当然の如くその場所はビルが立ち並び、爆心地の面影は無いが
其処が爆心地である旨の解説板が立っていた
解説板の周りには人が多数
皆海外からの見学者で、ボランティアガイドの説明に耳を傾けていた
彼らは広島の地でどの様な事を思ったのだろうか
(写真をクリックしてください、表示された画像をもう一度クリックすると拡大します)
(画面の中を直接ドラッグすると、画像を回転することが出来ます
また、画面にマウスを合わせると右上付近に拡大のマークが出ます
そのマークをクリックすることで大きな画面でパノラマ写真を見ることが出来ます。)
原爆ドームは、本来なら文字通り「廃墟」だ
廃墟は朽ち、崩れ去るものなのだが
それを「廃墟」の形のまま崩さずに保存するのは力技であり
保存するという行為により、「廃墟」から「意味の有る構造物」になったと思う
その「力技」を支えているのは「忘れない」という思いなのだが
どの様な事を「忘れない(記憶する)」ようにすべきなのか
それは余りに多岐にわたっている
少なくとも、それは「原爆の被害」だけではない
幾多の悲劇と共に、日本がどの様に戦争を行っていたかという事も
同様に「忘れない」ようにするべきだと思う
(パノラマ写真 写真をクリックしてください
表示された画像をもう一度クリックすると拡大します)
「広島は美しく装いすぎた」という言葉を聞く事がある
広島の街は立派な大都会だ
それが原爆の記憶を覆い隠そうとしている、という意味だろう
原爆ドームの周りにはビル等が建ち込めているが
原爆ドームは「忘れない」というメッセージによってその存在を主張する
原爆ドームを見たとき、如何に多くの事を「忘れない」で思い浮かべる事ができるか
それが大切な事になると思う
もし原爆ドームを見ても多くのことを「忘れてしまった」ら
原爆ドームは文字通り「廃墟」となり、崩れ去ってしまうだろう
「観光」というのは大きな抵抗がある
ほぼ同じ意味で、前日の大久野島一周も「観光」ではない
恐らくは、当事者でない私がこれらの「悲劇」を「心に留める」ために
現場の空気をじかに感じるための行為だと思う
実際のところ本当に心の中に感じ、受け止める事ができているのか
自信がない
「知識」が頭の中に蓄積されていくだけでは無いのか、と思う事もある
そう思いながらも、平和公園に足が向く
原爆ドームの約150m東側、高度約600mの所で原爆が炸裂する
至近距離だから完全に瓦礫の山と化してもおかしくないが
実際には辛うじて幾らかの形が残り、特にドームの部分は元の形をよく留めている
このドームの部分
今まで「真円」だとばかり思っていたが
縦、横と位置を変えて眺めると違うように思える
原爆資料館にはドーム部分の大きな模型が有る
そのドーム模型を真下から見上げてみるとやはり楕円(4:3ぐらい)になっていた
これも一つの先入観だったかもしれない
(写真をクリックしてください、表示された画像をもう一度クリックすると拡大します)
(画面の中を直接ドラッグすると、画像を回転することが出来ます
また、画面にマウスを合わせると右上付近に拡大のマークが出ます
そのマークをクリックすることで大きな画面でパノラマ写真を見ることが出来ます。)
爆心地は原爆ドームから約150m東側となる
「島病院」付近という
その場所も訪ねてみた
当然の如くその場所はビルが立ち並び、爆心地の面影は無いが
其処が爆心地である旨の解説板が立っていた
解説板の周りには人が多数
皆海外からの見学者で、ボランティアガイドの説明に耳を傾けていた
彼らは広島の地でどの様な事を思ったのだろうか
(写真をクリックしてください、表示された画像をもう一度クリックすると拡大します)
(画面の中を直接ドラッグすると、画像を回転することが出来ます
また、画面にマウスを合わせると右上付近に拡大のマークが出ます
そのマークをクリックすることで大きな画面でパノラマ写真を見ることが出来ます。)
原爆ドームは、本来なら文字通り「廃墟」だ
廃墟は朽ち、崩れ去るものなのだが
それを「廃墟」の形のまま崩さずに保存するのは力技であり
保存するという行為により、「廃墟」から「意味の有る構造物」になったと思う
その「力技」を支えているのは「忘れない」という思いなのだが
どの様な事を「忘れない(記憶する)」ようにすべきなのか
それは余りに多岐にわたっている
少なくとも、それは「原爆の被害」だけではない
幾多の悲劇と共に、日本がどの様に戦争を行っていたかという事も
同様に「忘れない」ようにするべきだと思う
(パノラマ写真 写真をクリックしてください
表示された画像をもう一度クリックすると拡大します)
「広島は美しく装いすぎた」という言葉を聞く事がある
広島の街は立派な大都会だ
それが原爆の記憶を覆い隠そうとしている、という意味だろう
原爆ドームの周りにはビル等が建ち込めているが
原爆ドームは「忘れない」というメッセージによってその存在を主張する
原爆ドームを見たとき、如何に多くの事を「忘れない」で思い浮かべる事ができるか
それが大切な事になると思う
もし原爆ドームを見ても多くのことを「忘れてしまった」ら
原爆ドームは文字通り「廃墟」となり、崩れ去ってしまうだろう
Posted by 旅人 at 00:34│Comments(0)
│広島県
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