2010年09月09日

浦上天主堂と大浦天主堂  2010年長崎旅行(29)

浦上天主堂と大浦天主堂  2010年長崎旅行(29)

今回の長崎方面旅行では、幾つかの教会堂をまわるのが主であった
だから、長崎の記述の最後にこの二つの著名な教会堂を取り上げたい

なお、浦上天主堂の8月9日の印象については
先に記事に書いているので、そちらも参考にしていただきたい

8月10日記事 「長崎 8月9日」



もっとも、コンクリート造りで再建された浦上天主堂については
幾つかの角度からの写真を掲載するにとどめたい
巨大な空間を構成するための構造計算が(設計当時は手計算だった為)大変だったり
予算の限られた中での建築であった事、建築中の資材高騰などの苦労話はあるが
建造物としては、贔屓目に見ても大味である事を否定し得ない






「旧天主堂が原爆で崩壊した後に、このように立派に再建された事」については
その熱意を以前ならば肯定的に書いたと思う
しかし現在の興味は
・「旧浦上天主堂の廃墟が原爆の悲惨さを伝える遺構」として残される可能性があったという点
・終戦後数年の間は、市当局はもちろんのこと、教会関係者もその意向であったらしいという点
・ある時点で、その当時の長崎市長及び教会関係者の意向が正反対に変わったらしいという点
ということにある






浦上天主堂の、元の位置での再建については
「その場所が信仰の歴史の中で重要な場所であり、その場所での再建は絶対で譲る事ができなかった」
と言うふうに説明されている
しかし、この理由は崩壊直後からの一貫して語られていた事ではなかったようだ

今、その点については『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(高瀬 毅著 平凡社)という本を読んでいる
上記の点についてここで書いても、この本の抜書きにしかならず
また、この本以外の事情も考えなければならないかもしれない

しかし、もし旧浦上天主堂の「廃墟」の「撤去」に関して
その背後に「アメリカ」の影があったとしたならば
「原爆による倒壊」によって「世界の財産」となった筈の「旧浦上天主堂遺構」喪失の意味を
もう一度考え直さなければならない





原爆が浦上天主堂を破壊した時
遠く離れた大浦天主堂もまた大きな被害を受けたと言う
しかし、倒壊を免れた大浦天主堂はその後修復され、現在では国宝に指定されている
今回の長崎の教会堂を巡り訪ねた旅行の、長崎での「終着点」は
奇しくも日本の教会堂の「出発点」となった大浦天主堂となった

江戸時代末期に作られた日本の教会堂最古の作例になるが、内外装共に充実した形を持っている






この教会堂にも、長崎に来るたびに足を運んだ
仏教寺院とは違った空間を、雰囲気をこの場所で随分と味わった
幸か不幸か、観光名所として公開されている為
観光客の多さ、騒がしさに注意をそらされる事もある反面
気兼ねなく堂内のベンチに腰掛けてゆっくりと堂内を見ることが出来る

ステンドグラスの美しさ、コウモリ天井による頭上の空間
内装材の線の細さは繊細さを感じるが、それにもに関わらず広い空間を作り上げている
教会堂の美しさの半分以上は室内の美しさにあると
遥か以前、初めてこの大浦天主堂を訪れた時に教えられたように思う

また其処には、まったく初めて手がける西洋建築だったにもかかわらず
それを見事に為し終えた日本人大工の仕事を見ることが出来る
室内の木工の美しさ、特にアーチのリブを造る時「継ぎ手」を多用してそのカーブを形成していく技などを
ここではたしかに見ることが出来る




大浦天主堂の敷地は、空間としての余裕が無い
敷地一杯に建築物が立ち込めているように思う
天主堂と旧羅典神学校との間の小路は
家々の立て込んだ街の路地のように思える
10mか20mほどの短い路地の中に一つの世界があるように感じられる






旧羅典神学校の壁面は、真壁造りを連想させる
実際には木骨レンガ造ということだそうだから
レンガの上に漆喰を塗ったのだろう
隣の天主堂と壁の表面に違いはあるが、この二つは調和している
長い年月が二つの建物を「枯れさせた」ように思える

ベランダを持つ旧羅典神学校は天主堂とは違った雰囲気を持っている
しかし表に出ることが無いから違いを主張することは無い
狭い敷地に寄り添って立つ二つの建物は、一つのアンサンブルを造っている





天主堂の脇にあるもう一つの路地、「祈念坂」
遠藤周作が愛した道だといわれている
坂を幾らか上って振り返ると、遠くには雑然とした長崎の街並みが見える

次に長崎に来るのはいつの事だろうか
次に来た時にも、やはりこの坂道の途中で振り返って
この景色を見ていることだろう

そんな事を、ぼんやりと考えていた


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Posted by 旅人 at 00:44│Comments(2)長崎県
この記事へのコメント
建築の設計に携わってきた自分としては、今日の写真と説明は非常に興味深いものでした。天主堂と神学校の関係や、アーチのリブの説明など建築家のようです。旧羅典進学校の建物は大変興味深いものを感じました。
最後の「祈念坂」のコメントなど旅人さんの長崎に対する心情を十分感じ取れました。ありがとうございました。
Posted by 山田勝己 at 2010年09月09日 05:01
山田勝己様、おはようございます。

アーチのリブの説明などは、素人の「耳学問」の範囲で書いた点で少々知ったかぶったような物の書き方をしてしまったようです。ただ、細かいながらも昔の日本人のごまかしの無い手作業を見た思いが有りました。
旧羅典神学校の映っている三枚の写真は、多枚数の写真をパノラマ合成したものです。(但し縦横比を強調していないのでパノラマと気付かないかもしれません。)目立たない場所にあるため、資料館としては立ち寄っても 建物としては見落としがちなように思います。

旅先ではどこでも印象的な風景があるように思います。長崎では「祈念坂」と「聖福寺」がそれに当たります。幾らかでもその空気を伝える事ができたでしょうか。

コメント頂き有難うございました。
Posted by 旅人旅人 at 2010年09月09日 09:14
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