2014年03月04日

ブラームス 交響曲第4番

「ブラームスはお好き?」と聞かれたら 
多分「好き」だと答える 
もっとも、そのすべてが好きと言う訳ではない 
聴くのは交響曲と若干の室内楽 
それと「ドイツレクイエム」ぐらいのものだろうか 

ではそれらの曲をなぜ聴くのか 
多分、多くの人と同じかもしれないのだが 
そこにある種の落ち着きと哀愁漂うメロディーに 
心惹かれるのかもしれない 


先日、ふとブラームスの交響曲第4番のCDを聴いたとき 
この曲の中にもそのことをしみじみと感じた 
第一楽章の始まりは「大交響曲」が始まるという物々しさなど微塵もなく 
少し不安定さを伴った(それが「悲哀」の情なのかもしれない) 
バイオリンと木管の掛け合いで始まる 
そのような曲だから、力ずくで聴き手をねじ伏せるようなことはない 
たおやかさを表面にまとった堅固な構成の曲なのだろう 

この第一楽章の中で私が魅かれるのは 
「呈示部」の最後の方、95小節あたりからの部分 
フルートとクラリネット 
そしてホルンが重なった音色により奏でられるメロディー 
それはオーボエに引き継がれていく 
たかだか15小節ほどの部分 

三つの楽器がブレンドされた音色は 
「美しい音色」というには少し疑問も残る 
しかしこの楽器の掛け合わせの妙に「情感」を感じることが出来るように思う 

私はそのメロディーの中に 
年を重ねた者が感じている「(何者かへの)憧憬」が 
描き出されているように思えた 
それはなにがしらの「あきらめ」を伴っているようにも思える 
「憧れの対象」は、常に手の届かないところにあるものなのだ 

私はこの部分のことを書いた後で 
「第二楽章は...」「第三楽章については...」といったことを書くことに 
何故か「無駄なこと」だと感じてしまう 
もちろん他の楽章も楽しんで聴いている 
しかしこの「交響曲第4番」については 
上記のことだけを書けばそれで私にとっては十分なように思える 

何故、無理して他の楽章のことを書かなければならないのか?


このような「憧憬」の表現は、ブラームスの曲の中には 
ときどき見かけることが出来るように思う 
それは曲全体の中では短い時のことが多いのだが 
その時折現れる「憧憬の情感」を聴きたさに 
ブラームスの音楽を聴いているのかもしれない 


   




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Posted by 旅人 at 22:45│Comments(0)音楽
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