2011年09月20日
静岡ピカデリー屋上のプラネタリウム跡
先日(9月18日)の静岡新聞だったと思うが
七間町映画街を特集した写真記事が出ていた
そして、その記事にはプラネタリウムドームの写真も大きく掲載されていた
「静岡ピカデリー」の屋上にプラネタリウムのドームが残っていることは知っていた
地上から見上げながらその姿を確認することは有ったが
そのドームを間近に見たことはなかった
新聞記事では、10月2日の映画館閉館後、すぐに建物の取り壊しが始まると書かれていた
それが事実であれば、使われなくなってからも長い期間存在していたこのプラネタリウムドームも
間もなく七間町から消え去ってしまうことになる
そこでプラネタリウムドームを見に行くことにした
(画像右上の"□"をクリックすると、パノラマサイト「花鳥風月」の該当ページで、
拡大表示されたパノラマムービーを見ることが出来ます)
プラネタリウムドームは地上からも確認することができる
昭和通りあたりからも見えるし
「静岡ミラノ」の前からも確認することができる
もう赤錆にまみれたドームは、現在の基準からすれば多分かなりの「小型」なのだろう
屋上へはエレベーターか階段を使って登る
そんなに高いビルではないから、階段を登ってもさほど大変ではないが
階段自体は建物の年輪を感じさせるような少し暗さをともなった雰囲気がある
2011年9月19日 七間町映画街 静岡ピカデリー屋上 プラネタリウムドーム パノラマ写真 360° posted by (C)備忘録 旅人
(画像右上の"□"をクリックすると、パノラマサイト「花鳥風月」の該当ページで、
拡大表示されたパノラマムービーを見ることが出来ます)
プラネタリウムは1959年の映画館開館と同時に営業を開始したようだが、短命に終わったようだ
屋上出口の前には大きなコンクリートのひさしが目の前に広がっているが
そのコンクリートもひび割れが多く、50年以上たったこの建物の歳月を感じさせる
屋上には小規模の映画館とこのプラネタリウムドーム
このビルが建った当初は屋上からの見晴らしも格別だったのだろうが
今は周囲のビルのほうが背が高く、それほど見晴らしはよくない
歩数でドームの大きさを測ってみる
私の足で10歩だった
1歩を75cmとすると7.5m、おそらく8mほどの直径なのだろう
営業用のプラネタリウムとしたらその当時でも小さかったのではないだろうか
そのような「小さな」プラネタリウムドームで星を輝かせていた投影機はどのようなものだったのか
想像するより他に無いのだが
たぶん「ピンホール式」の簡単な物だったのではないだろうか、と思っている
間近で見るドームは、さびで赤茶けているだけでなく
部分的(ドーム下部)には腐食が進み、ドームの骨材も現れている
その骨材には木が使われていた
そのこと自体は驚くことでもないのだが
金属(トタン板)で覆われていたドーム全体に対して、一寸したギャップを感じた
しかし、このドームが、中のプラネタリウム投影が
50年前の最新の娯楽だったのだろう
プラネタリウムの営業は短期間に終わった
その後どのような使われ方をされたのかは知らない
(時々イベントの会場として使われているようだ
この日にも夜にダンスの催事があったようだ)
大方は忘れられた存在だったと思う
ドーム屋根は錆だらけになったが
それでいて50年の間、丸いドームの形だけは保ち続けていた
「静岡の記憶が、また一つ失われていく」
そう言いたいところなのだが
もともと「コンクリート建築」とは未来永劫に残すつもりで建てた物なのだろうか
実際にはコンクリート建築は頻繁に立て替えられているのではないのだろうか
仮に映画街が移転しなかったとしても
映画街の建物自体は何らかの建て替えを迫られていた、というのも事実なのだ
私は「映画街の、建物としての寿命の終期」にたまたま期を同じくしていただけなのかもしれない
「建物」と「映画街」が失われるという事態に、多少感傷的に物事を考えがちになる
しかし、50年単位で街並みが変わってしまうのは、少し短いような気がする
今の時代に「100年後に評価される街並み」を作り出すことは不可能なのだろうか
確かに「静岡大火」「静岡空襲」のような街並みの存続できない理由となる大きな変化はあった
しかし、此処が「映画」を中心とした「娯楽」という思想によってその街並みは作られてきた
映画街の移転は、その街にあった「娯楽」という思想に対する、一つの区切りなのかもしれない
映画街の跡地のうち、「オリオン座・有楽座」跡は静岡市が買い取り、水道局が移転してくるという
「静岡ピカデリー」「静岡ミラノ」の跡地がどのように利用されるのか
まだわからない
「この次の建物」と、それを中心とする「街並み」こそは
100年単位で考え、100年後に評価され、それ以降も続いていく建物・街並みを考えてほしい
日本にも、100年以上続く「古い町並」は各所にある
「木造」の古い街並みは残っても
「木造よりも頑丈で耐火性にも富む」はずのコンクリート製街並みが100年以上残らないとしたら
それは、たぶん「街づくりの思想の欠如」なのだろう
「静岡ピカデリー」屋上から、向かいにある「オリオン座・有楽座」の壁面を見る
「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の壁画も、此処からは見下ろすような形でその全体を見ることが出来る
この壁画の保存を求める声は大きいと聞くが、まだこの壁面がどうなるのか、その話を聞かない
この壁画も「失われてしまったものの一つ」に数えられることになるのだろうか
2011年9月26日記事 「静岡ピカデリー屋上のプラネタリウム跡(2)」
「七間町映画街」関連の記事はこちらをクリックしてください。(「七間町」関連ページ 一覧へ移動します)
Posted by 旅人 at 22:04│Comments(4)
│葵区
この記事へのコメント
日曜日に、ピカデリー1で映画を観てきました。
映画が終わり外に出ると、映画館を写そうと、あちらこちらにカメラを持った人がいました。
『本当に、あと数日で取り壊しなんだ…』と、さみしい気持ちになりました。
シネコンは、苦手です。
映画が終わり外に出ると、映画館を写そうと、あちらこちらにカメラを持った人がいました。
『本当に、あと数日で取り壊しなんだ…』と、さみしい気持ちになりました。
シネコンは、苦手です。
Posted by ゆみ at 2011年09月26日 02:57
ゆみさん、おはようございます。
映画街の建物は50年経った「古い物」なのですが、50年の歳月を経たけった、その場所に溶け込んだ、他の物では換えがたい独特の「雰囲気」を作り出していたと思います。
何とかしてこの景観を残すことはできなかったのか、という思いは強いのです。
「シネコン」のような現代的なものが本当に良いのか、という点は、今後も必ず問われてくるのではないだろうか、と思っています。
映画街の建物は50年経った「古い物」なのですが、50年の歳月を経たけった、その場所に溶け込んだ、他の物では換えがたい独特の「雰囲気」を作り出していたと思います。
何とかしてこの景観を残すことはできなかったのか、という思いは強いのです。
「シネコン」のような現代的なものが本当に良いのか、という点は、今後も必ず問われてくるのではないだろうか、と思っています。
Posted by 旅人 at 2011年09月26日 07:40
はじめまして。
私は、石川県のいしかわ子ども交流センターという施設でプラネタリウムを担当しています、毛利と申します。
静活のプラネタリウムの写真を拝見しまして、お願いがあります。
現在、私は日本のプラネタリウムの歴史と変遷というテーマで論文を執筆しています。静活のプラネタリウムは金子式プラネタリウム(ピンホールの投映機)で運営をしていたのですが、金子式のプラネタリウムの資料が恐ろしく少なく、静活のプラネタリウムの存在も金子式プラネタリウムのカタログと、昭和30年代に発行された天文雑誌にその記述があるのみです。
できましたらば、このブログで使われているプラネタリウムの外観の写真を論文中の写真として使用させていただけないでしょうか?
よろしくご検討願います。
私は、石川県のいしかわ子ども交流センターという施設でプラネタリウムを担当しています、毛利と申します。
静活のプラネタリウムの写真を拝見しまして、お願いがあります。
現在、私は日本のプラネタリウムの歴史と変遷というテーマで論文を執筆しています。静活のプラネタリウムは金子式プラネタリウム(ピンホールの投映機)で運営をしていたのですが、金子式のプラネタリウムの資料が恐ろしく少なく、静活のプラネタリウムの存在も金子式プラネタリウムのカタログと、昭和30年代に発行された天文雑誌にその記述があるのみです。
できましたらば、このブログで使われているプラネタリウムの外観の写真を論文中の写真として使用させていただけないでしょうか?
よろしくご検討願います。
Posted by 毛利裕之 at 2012年01月05日 15:06
毛利様、当ブログをご参照頂きありがとうございます。
ご依頼の写真使用の件、どうぞお気兼ねなくお使いください。
投影機としての金子式プラネタリウムのことは知っており、静活のプラネタリウムについてもどこかで「金子式」との記述を見たことがあったように思いました。やはり「金子式」を使っていたのですね。
毛利様のコメントで、不確かな知識が確実になりました。お礼申し上げます。
ご依頼の写真使用の件、どうぞお気兼ねなくお使いください。
投影機としての金子式プラネタリウムのことは知っており、静活のプラネタリウムについてもどこかで「金子式」との記述を見たことがあったように思いました。やはり「金子式」を使っていたのですね。
毛利様のコメントで、不確かな知識が確実になりました。お礼申し上げます。
Posted by 旅人 at 2012年01月05日 16:43
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