2010年01月24日

原爆の子の像

原爆の子の像

「原爆の子の像」
たぶん平和公園の慰霊碑の中で最も知られている像だと思う


原爆の子の像
(写真をクリックしてください、表示された画像をもう一度クリックすると拡大します)


(画面の中を直接ドラッグすると、画像を回転することが出来ます
 また、画面にマウスを合わせると右上付近に拡大のマークが出ます
 そのマークをクリックすることで大きな画面でパノラマ写真を見ることが出来ます。)

この像のモデルとなった佐々木禎子さんは
2歳のとき原爆による「黒い雨」により二次被爆し
9年後に白血病が発病、翌年12歳で亡くなる
この事の経緯については多くの場所で語られているのでここでは書かない




慰霊碑を訪ねる事にどれほどの意味があるのか、と時々思う
原爆ドームや被爆時の遺品・遺物を見るのは実物を見るという点で大切だが
慰霊碑の類はあくまで事後の設置者の思いなのであって
そのような事項は本等で調べればよいではないか、という考えが頭の中をよぎる

しかし、「原爆の子の像」の前ではそのような考えは起こらない
それはこの像がもつメッセージの余りの強さのためであり
佐々木禎子さんについてのドラマの中にある悲劇性と祈りの強さのためだと思う


佐々木禎子さんはもし存命なら、今頃はお孫さんに囲まれているような御歳のはずだ
しかし、資料館で佐々木禎子さんの写真を前にすると
12歳の娘さんのイメージとして止まってしまい
その先が進まない事に愕然とする
(これと同じことをひめゆり部隊の資料館で立ち並んでいた
 犠牲者の写真を見たときにも感じた)

年若くして死ぬ事の残酷さを感じたように思えた

彼女は12歳にして全てを背負わなければならなかった





(画面の中を直接ドラッグすると、画像を回転することが出来ます
 また、画面にマウスを合わせると右上付近に拡大のマークが出ます
 そのマークをクリックすることで大きな画面でパノラマ写真を見ることが出来ます。)





病名は伏せられていても、死に至る病である事を敏感に感じ取っていた
同室の患者の子供が死んだとき
「次は私」といって泣いたという一人の娘さんの折り続けた鶴を
実際に資料館の展示として見たとき
自身に対して迫り来る理不尽な死に対しての悲しみと
多くのこと(自身の病気から核の廃絶までの、崇高な希望全て)に対しての祈りを
この折鶴の一羽々々に込めた事が
有無も言わさずに迫ってくる
その折鶴は、だんだん小さくなっていき
ほとんど1センチから2センチぐらいの大きさの鶴を、針を使いながら折っていたという

(今、ある偶然に気が付いた
 「おる」という言葉と「いのる」という言葉は
 両方とも「折る」という漢字を当てる事を)




「原爆の子の像」を見て、資料館の展示を見て
核兵器に反対しない人が居るとは思えない
しかし実際には世界から核兵器は無くならず
日本の中でも「核武装」を唱える国会議員もいる
このとき、必ず「世界の現実」を口にする

しかし、「現実」さへも人によって思い描くものは違う

私は
「どの様な武装をすれば確実に戦争にならないように出来るか」という点について
答を得られない「現実」を思い浮かべる
「どの様な武装をすれば確実に戦争に勝てるか」という点について
答を得られない「現実」を思い浮かべる
「核戦争になったとき、地球はどうなるのか」という点についての「現実」を思い浮かべる

結局
「武力を用いずに問題を解決することを模索しなければならない」
「もし核戦争になれば、世界中が無理心中をするような事態になるだろう」
という現実に突き当たる

ここに書いたことが「一市民」の感想にとどまる事も自覚している
また、如何に広島での印象が強くとも
その印象を忘れることなく、日々の生活の中で常に持ち続けることの難しさを感じる
「時代の多数意見」の波に押し流されない、という強い意思があるわけでもない

だから、先日の広島で考えた事をここに書く
それが「備忘録」としての意味であり
その時考えた事を刹那のうちに忘れ去ることなく心の中に定着させるためだと思う
もし仮に、後になって私が意見を変えるようなことがあったとしたら
その時の「私」はこの文を書いた「私」になぜ意見を変えたかについて
誠実に説明しなければならない責を負う

 
最後に、峠三吉氏の有名な詩を記した碑の写真を掲げる




「原爆の子の像」については
下記のホームページを参考にしてください

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0107/exhi_top.html

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/kids/KPSH_J/hiroshima/hiroshimatop.html

http://ww3.enjoy.ne.jp/~simoiti1329/peaspark/15genbakunokonozou.htm


追記
2019年8月に撮影した360度VR 画像を追加しました。


   





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Posted by 旅人 at 01:30│Comments(0)広島県
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